『私の夢まで、会いに来てくれた』(朝日新聞出版)が発売されて2週間ほど経ちました。
昨晩は、荻上チキさんのTBSラジオ番組「荻上チキ Session-22」でも1時間に渡ってご紹介いただきました。 ナビゲーターの南部広美さんが3編、朗読をしてくださって、文字を追うのと耳で聴くのでは、また感じ方が違って、深いなぁと思っているところです。
本が出てしばらくしたら、構成を担当して感じたことを書こうと思っていました。そろそろ、そのタイミングかなと思いましたので、書いてみようと思います。 構成とはどんな仕事かというと、学生さんがうかがってきたお話と原稿に手を入れて、「本」という形に整える仕事です。
私は学生さんから原稿を受け取ったあと、9月頃から作業を始め、入稿までに4回は見直して手を入れました。一字一句まで気が抜けなかったのは、亡くなった方のお話を扱うということもありますが、話し手と聞き手の方たちの思いを読者に何ものにも邪魔されず受け取ってもらうために、自分の気配を徹底的に消す必要もあったからです。
ライターとは、「巫女さん」か「イタコ」のような仕事です。テーマやインタビューする相手の違いや、どういうスタンスで仕事をしているのか、という個人差もあるのですが、私の場合、ライターとは、基本的に、伝えたい人の真意を受け取る人が的確に受け取れるように、書き言葉として言語化する仕事だと考えています。そこが、事実にできる限り客観性を持たせて伝える「ジャーナリスト」や書き手が表に出てくる「ノンフィクション作家」と違う部分だとも思っています。とくに今回の場合は、まさに「ゴースト」になりきる仕事でした。
私は原稿を書くときにどういう精神状態になっているかというと、深い底に下りていくような気持ちになっています。取材した内容や事実関係を読みやすくまとめればいい原稿の場合は、そこまで下りませんが、人物像を描くインタビューの場合は、テーマによってはかなり深く下りていきます。話し言葉を書き言葉に置き換えるときには、どうしても言葉が足りなくなります。インタビュイーが使っていない言葉も使わなければ、文章として成立しないことも多々あり、語られていない言葉を探すために、深い底に潜る必要があるのです。これは取材の素材が不足云々というのとは違う話で、書き言葉にするにあたって避けられない「隙間を埋める」ための作業のことです。
ライターになってしばらくの間は、下りていくのも、感覚的には海の底に向かって潜るような感覚でした。スキューバダイビングにはまっていた時期があって、海中に潜り、水中を泳ぐ感覚が、原稿を書いているときの感覚に近くて、「あー、こんな感じ」と妙に納得したことがありました。そうやって、パソコンに向かって、「あーでもない、こーでもない」と言葉を探してジタバタしていると、「カチッ」と何かが見つかる瞬間があって、その感覚さえつかめれば、「あ、この原稿はこれでいける」と思うのです。
ただ、今は海に潜るよりは、もっと深く地底に潜っていく感覚を感じるようになりました。以前はもうちょっと明るい場所だったのですが、今は「なんか暗いなぁ」と思うところに潜っている気がします。なぜ、そんな感覚になるのか、ずっと不思議だったのですが、村上春樹さんと河合隼雄先生が対談された『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(新潮文庫)を読んでいて、合点がいくことがありました。
お二人と一緒にするのもおこがましいのですが、村上さんの小説には、よく井戸の底に下りていく話が出てきます。それもずっとひっかかっていたのですが、その謎も本を読んで解けました。お二人が語っていたのは、底のほうまで下りていくと、個人という存在を超えて、何か人と人が共通して持っているもの、誰もがアクセスできる無意識のようなところがあるのではないか、ということでした。正確な表現は本を読んでいただきたいのですが、その部分を読んで、とても納得するところがあったのです。
インタビュイーが口にしていない言葉を文字として書くときは、勇気がいります。果たして、この言葉を使って、インタビュイーの方に自分の言葉だと思ってもらえるだろうか、という危惧がつねにあるからです。インタビュイーが自分の体から発した言葉ではないと感じることがあれば、ライターとして最大のミスを犯したことになります。その危険を回避するために、ライターは地中の奥深くまで下り、インタビュイーに憑依してもらうような状態になり、彼や彼女が語るであろう、使うであろう言葉を探す必要があるのです。
もちろん、その原稿でOKというわけではなく、必ずインタビュイーに確認をとる必要はあります。が、しっかりと、「ここまでは行かなければ」という深いところまで下りていくことができると、原稿への赤字修正が少ないことも、経験的に実感しています。それがなぜなのか、確信はないのですが、恐らく村上さんと河合先生が語っていたようなことなのではないか、と自分なりに解釈しています。
『私の夢まで、会いに来てくれた』では、私は語り手の方たちにお目にかかっていませんし、お話を聞いてきたのは、学生さんたちです。学生さんたちの原稿を通して語り手の方たちと対話したわけですが、それでもやはり地中の底に向かって下りる必要はありました。それも、恐らく今まででないくらい深い場所に潜ったと思います。
そのときに感じて、編者の金菱清先生にも話したのですが、じつは『私の夢まで、会いに来てくれた』は、表向きは一般的な証言集に読めるのですが、その下にはとても深い闇が隠れている本です。その理由は、無意識の世界である夢の話、それも亡くなった方との夢の話をしているからです。私は作業が一番の山場だった頃、「あっちゃー、これ、相当、ヤバイ本じゃん!」(言葉が悪くてすいません。正直、ホントにコレだったのです)と気づきました。
『私の〜』の中で金菱先生が執筆された章にも出てきますが、語り手の一人、佐藤修平さんが「夢には怖い面もあって、思いが強すぎたりすると、他人事として聞かないと、自分がその渦に巻き込まれてしまうこともある。そこだけは、夢の話を聞くときに気をつけたほうがいい」とおっしゃっています。佐藤さんが語り手として登場する部分では、物語の流れが止まってしまうので省いたのですが、まさにこの本の価値と危うさは、この言葉に集約されると思います。
『私の〜』が発売されて2週間が経った今、読んでくださった方に聞くと、「よかった」「いい本だ」という感想をいただきますし、発売前に本の宣伝をしたときも、これまで手がけた本以上の反応があって、私自身が驚くほどでした。ただ、「じゃあ、レビューお願いします」と言うと、これまでなら、もっと早く感想が出てくるのですが、今回は、どうもうまく出てこないのでは?という、もやもやした感じがあります。ネット上でも、荻上チキさんの番組に対するTwitterは多いのですが、本そのものに対する読者からの反応を今の段階ではほとんど見つけることができません。
昨晩の南部さんの朗読に対するTwitterでの反応も、うまく言語化できないけれど、何か深く感じる、という感想が多かったように感じました。その言語化できない「何か心の奥を揺さぶるもの」がこの本には隠れているのだと思います。
私自身は編集作業を通して、何度も原稿に目を通したので、今はかなり鈍感になっている部分があります。ただ、作業を始めた頃は、すっかり忘れていた(と思っていた)東日本大震災直後の動揺がよみがえってきました。一番、その感覚を感じたのは、帰省のため、仙台駅に降り立ったときです。震災後、東北新幹線が復旧し、やっと実家に戻れるようになったとき、仙台駅に立ったときと似たザザサーっと鳥肌が立つような感覚を思い出したのです。怖さもありましたが、嫌な感覚ではなく、懐かしいような、温かさもありました。いったいこの感覚はなんだろう、と不思議でしたが、今、その感覚を思い出そうとしてもできません。たぶん、私は、『私の〜』が伝えたいものを敏感に感じることのできる時期は過ぎてしまったのでしょう。時間が経って、すっかり忘れた頃に読み返したら、また感じるのかもしれませんが。
書籍を発行する側が、そういった危うさも知った上で発行したり、売るための宣伝してもいいのか、という批判も受けそうな話なのですが、一方で、この本には、そういった危うさを回避して、しっかりと「生の場所」に戻ってきているという幸せな面もあります。それは、この本が語り手の方たち、聞き手の学生さんたち、金菱清先生、朝日新聞出版の担当編集者さん、校閲さん、デザイナーさん、そして私というチームプレーでできた本だからです。
学生さんたちは、語り手の方たちの夢の話をうかがうために、かなり深い場所まで下りていく必要がありました。『私の〜』に書かれている物語は、それほど相当に深いところにあります。学生さんたちは、深い樹海のような森か真っ暗で深い地底に地図も持たずに「行ってこい」と言われたようなものです。本人たちは今もまったく気づいていないと思いますが。本当に無謀な教授だと思います(笑)
無事に戻って来られたのは、金菱先生も表現していますが、学生さんたちが「無垢な魂」を持っていたからです。幼い子どもが危ない場所で遊んでいてもまったく気づかないように、社会人経験がない彼らだからこそ、すっと物語の中に入り、すっと帰ってくることができたのです。あるいは、うまく入り込めない物語であれば、彼らは、いい意味での未熟さのおかげで門前払いを食わされていたでしょう。もし、私が聞き手の立場だったとしたら、下手に社会人としての経験があるだけに邪推のような感情や思考に絡みとられ、迷い続けていたような気がします。
そこに気づいたとき、既刊の東日本大震災関連本に感じていた、ある種の違和感への答えも見つけたような気がしました。東日本大震災は人的にも物質的にも被害が甚大で、問題が複雑で多層化しているために、言語化するのが非常に困難です。震災直後、まったく言語化できない無力さを感じた報道関係者は多かったと思います。私も被災地に初めて立ったとき、敗北感しかありませんでした。『津波の霊たち』(早川書房)を執筆されたリチャード・ロイド パリーさんほどの経験豊富なジャーナリストでも、どこから執筆したらいいのか、手をつけるまで2年はかかったとインタビューで語っています。
時間が経過し、震災から距離ができたことで、ある程度、言語化できるようにはなってきましたが、言葉にして表現するというのは、形のないものに枠をはめ込むような作業です。たとえば、「雲」という言葉を使ったとき、使った側も受け取った側も、空に浮かぶ雲である、という共通認識があり、自分なりの雲の形をイメージできるからこそ、情報がやりとりできます。しかし、実際に空に浮かんでいる雲そのものは、形を変え、その場にとどまることはありません。「雲」という言葉の枠組みがあることによって、私たちは、空に浮かぶもやもやとした白いモノが「雲」である、という情報を共有できるわけです。
そうしたある現象に対して言葉による枠をはめる作業が、東日本大震災に対しては、ほとんど無力な状態でした。現在、言語化できた部分も東日本大震災の一部であり、私たちが記録として読めるものは、言語で作られた枠の寄せ集めです。そして、その枠にはまらなかったもの、こぼれ落ちているものは、今も存在し続けています。私が震災関連本に感じた違和感は、言語の枠に収めることができないものをどうしても感じてしまったからなのだと思います。
ただ、それも致し方のないことで、一人の執筆者、あるいは複数の執筆者が関わった場合でも、言語の枠にはめ込む現象の量には限界があり、深さも必要です。東日本大震災において、こぼれ落ちている現象をどうすくい取るかは、言葉を使って人に伝える仕事をしている人間にとって、一生をかけても、敗北感しか感じられない課題なのかもしれないと思っています。
そうした背景がある中で、『私の〜』は、今までどうしても言語化できなかった現象の一部をなんとか言語の枠に収めることができた本だと思っているのです。「夢」がその突破口になってくれました。とても危うい旅でしたが、語り手と学生さんたちの信頼関係によって、存在はしていたけれど、言語化できなかった物語を持ち帰ることができたのです。そして、私も構成作業をしながら、「この部分がどうしてもうまく整合性がとれない」という苦労があまりありませんでした。おそらくこの方向しかないだろう、という道筋が、どの物語にも不思議とあったのです。
学生さんたちがすくい取ってきた物語は原石なので、そのままでは、読み手が価値に気づくことができません。学生さんたちがある程度、浅いところまで持ち帰ってくれたことで、金菱先生や私、担当編集者さんも手を出せるようになりました。語り手の方たちも含め、本の制作に関わった全員が協力しあって、深い海なのか地底の奥なのか、とにかくとても深い場所にあった物語を引き上げ、多くの読者が手にしても安全な明るい場所に持ち出すことができたのだと思っています。
『私の〜』に関して、一人でも多くの方に読んでいただきたいという気持ちは変わらないのですが、読者を選ぶだろうとも思っています。この本の言葉の影に隠れている部分に目が向いてしまうと、読者が抱えている影の感情が引き出される可能性もあるからです。ただ、その影の部分は誰もが持っている感情ですし、地球が存在するために月が必要なように、「生」を支えてくれる大切な感情でもあります。もし、『私の夢まで、会いに来てくれた』を読んで、影の感情が動かされ、つらくなってしまった人には、本と距離を置いて欲しいと思っています。昨晩、荻上チキさんが番組の中でおっしゃっていたように、フラッシュバックのような状態になることは、この本が望んでいることではないからです。
そして、時間を置いてみて、もしまた手に取ってみたいという気持ちになったら、ほんの一部でも、読めそうな箇所を読んでいただきたいと思っています。この本には、影の部分だけでなく、救いの道筋を示してくれる光の部分もあります。その光の温かさをほんの少しでも感じていただけたら、と思うのです。
『私の〜』に裏方として関わった私が、自分のサイトとはいえ、裏話のような文章を書いてもいいのかと迷いもありましたが、これからも言語化された感想が出てきにくいのではないか、私の予想はそう外れていないのではないかと思いましたし、この本にはさまざまな要素が隠れていることををお伝えしたほうがいいのではと、思い切って書くことにしました。
「Session-22」の録音は、こちらで聞くことができます。
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