先月からにわかに降って湧いたクイーン旋風。映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観に行って以来、「アタシは中学生か?」というクイーン熱烈状態に陥ってしまい、突貫で1ページの「フレディに号泣!関係者も驚くクイーン映画「ボヘミアン・ラプソディ」旋風を書き、さらにその熱に浮かされたまま、5ページの特集記事を書いてしまいました。
取材と原稿の合間に、あれよあれよといいう調子で映画が老若男女を巻き込む爆発的ヒットになってしまい、紙媒体よりスピードが速いネットに関連記事がバンバン出るもので、そのたびに原稿を書き直したりして、冷や汗をかきながら右往左往した2週間でした。
「AERA」はニュース週刊誌なので、音楽雑誌のようにクイーンの歴史や音楽性について深くは語れません。そもそも私が単なる70〜80年代洋楽ロック好きというだけなので、語るのは音楽ライターや音楽評論家の方に失礼、ということで、ひねり出したのが、自分と同世代の初代クイーンファンが生きてきた背景を読み解くことでした。
「ボヘミアン・ラプソディ」を見た直後の感想「ボヘミアン・ラプソディの時代」にも書きましたが、映画はクイーンの黄金期だった70年代後半から80年代を知っている者には、あの当時に漂っていた空気まで蘇らせる不思議な魅力があります。
堀井憲一郎さんが現代ビジネスに書いた「男子高校生にとって、Queenは『憧れのロックスター』だったか」を読んだときに、「ああ、同じように感じた人がいるんだなぁ」と思いました。たぶん、私と同年代、その前後の年代の人たちも、あの頃の空気が肌感覚で蘇ったことで泣けたということもあるんじゃないかなぁと思っています。フレディは時代のトリックスターだったんでしょうねぇ、きっと。
そういえば、河合隼雄先生は、著書の中で、何かが変わるときはトリックスター的な存在が必要と書いてたなぁと、思い出しました。
追記:AERAdotにも「クイーンが日本の少女に開けさせたセクシャリティーの扉」として出ました……が、記事は抜粋です。私も、「あー、そうしたのか」という感じ。いろいろ大人の事情がございまして(笑)続きは、乾貴士さんが表紙の「AERA」(2018年12月17日号/10日発売)本誌でどうぞ。Kindle版もあります。(2018/12/14)
さらに追記:AERAの記事、後編が出ました。「初代クイーン世代女子の“怨念”がブーム再燃の原動力」。長めの記事だと前後編で出すこともあるんですね〜。へーって思ってます。ネットに出るときは、AERAdot編集部にすっかりお任せ状態なので。
私が紙媒体に書くときは、完全に紙媒体の読者に向けて書いてます。写真の配置や囲み記事との情報(今回の記事で言えば、東郷さんのインタビュー)との差別化も考えながら、文章の流れを作っています。紙媒体の記事がネットにも配信される時代ですが、紙媒体とネットでは想定する読者が違いますし、書き方が変わってくるんですね。
タイトルも「AERA」掲載時とは変わっています。紙媒体とネットでは目立たせ方が違うので、タイトルを変えることも多いです。一瞬で読むか読まないかを判断されるネットでは、タイトル次第でページビュー数が変わってくるからです。タイトルについては、編集部がつけることが多いですが……。今回、紙やKindle版の「AERA」を買って下さった方は、そんな紙媒体とネットの情報の見せ方の違いにも気づいていただけるといいかな〜、なんて思いました。(2018/12/16)
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