『3.11慟哭の記録』の編者、金菱清先生が新しく見解を発表しました。
震災から7年経ち、大きな被害がなかった私も過去のものとして扱うようになっていました。そうでなければ、日常生活が営めないということもあります。
でも、『私の夢まで、会いに来てくれた』に関わって、心に深い傷を負ってしまった方たちにとっては、今も続いているものなのだと、痛感させられました。他の震災の取材を通じて、分かったつもりになっていましたが、本当のところは何一つ分かっていませんでした。
忘れる、忘れないという次元の問題ではなく、家族や友人、たまたま巡り合った見知らぬ人であっても、受け入れる時間もないまま、理不尽な死に出会ってしまうことは、亡き人の存在をいつまでも抱えながら生きねばならないことなのだと教えられ、それに気づかなかった自分を恥ずかしく思いました。
東日本大震災以降も大きな災害が続き、今、西日本豪雨でも多くの方が苦しい思いをしています。また、災害だけでなく、事故や病気の場合でも、遺された方が、亡くなった方の死、そして、自分の身を削り取られるように失ったものの喪失感を受け止められるかどうかは、時間の経過だけでは足りず、その他の何かが必要なのだと思います。
今よりもずっと死が身近だった時代の文学は、その「何か」を描くことを突きつめていたような気がします。私は文学とは、ずっとそういうものだと思っていました。ですから、今回の「美しい顔」騒動に対しては、自分が抱いていた文学への幻想を打ち砕かれてしまったという幻滅した思いがあります。
今回のような件は、過去にもあったかもしれず、単に私が不勉強だっただけなのかもしれません。また、多くの作家さんや出版に関わる方たちが、人間の本質を描こうと真摯に取り組んでいることは重々、分かっているつもりなのですが......。
明日は芥川賞・直木賞の発表です。今の「文壇」が、どう評価するのか、注目したいと思っています。
写真は2013年4月29日、南三陸町志津川で、わかめ漁を再開した知人の船に乗せてもらい、海から撮った日の出です。とても穏やかで豊かな、哀しくなるほど美しい海でした。
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