「おはなし」と「言葉の器」の狭間で --映画「この世界の片隅に」

1939年から1945年まで第二次世界大戦があったことは知っている。それが日本では「太平洋戦争」あるいは、「大東亜戦争」と呼ばれたことも、日本が枢軸国であったこと、敗戦国になったことも。大勢の人が亡くなり、生き残った人たちも食料難や生活苦に苦しんだことも知っている。戦争終結から71年が経った今も日本は戦争があったこと、戦争で起こしたことを処理しきれない状態が続いていることも知っている。

第二次世界大戦が舞台になっている映画、ドラマ、舞台もたくさん観てきた。本も読んだ。写真も見た。数多くの映像や文章を通して、爆撃の怖さ、死への恐怖、敵と味方に分かれる悲劇、人間の醜さ、美しさを疑似体験し、親や祖父母、親戚、その時代に生きた人たちの苦労も想像しているつもりだった。「二度と戦争はいやだ」とも思っていた。

だけど、それは知識として知っているだけだった。戦後生まれの私には、いつもどこか、1945年8月15日以降の日々とそれ以前の日々は断ち切られ、違う世界のできごとだった。

映画「この世界の片隅に」を観た。原作の漫画は読んでいたので、ストーリーは知っていた。でも、アニメーション映画として観たとき、原作を読んだとき以上に、胸の奥の奥のほうで受け入れることができた。あの時代と今、この瞬間が地続きなのだと。私が生きて、呼吸をしている今の後ろに昨日があり、1年前があり、10年、100年、そしてもっと長い長い年月があるのだとやっと感じることができた。

「この世界の片隅に」は、広島で生まれ育った「すず」という1人の女性の物語だ。8歳から映画は始まり、ある男性に見初められて、知り合いもいない呉に嫁ぎ、戦争を耐え抜き、空襲と広島の原爆で家族を亡くし、それでも生き抜いていく。あらすじだけ書けば、戦争をテーマにした映画や小説によくある話だ。すずと家族たちがどう暮らしていたか、食料難や物資の不足、空襲から逃げまどう姿、親しい人たちの死が丁寧に積み重ねられ、物語は進んでいく。

だが、これまで観てきた、読んできた戦争の物語とは何かが違うのだ。私は「この世界の片隅に」を見終わって時間が経っても、言葉に形づくるための「核」が見つけられない。

映画を観ながら泣き、くすりと笑い、日々のできごとに共感もした。

冒頭に映し出される原爆ドーム、かつて広島物産陳列館と呼ばれた建物が破壊される前は街の中でこんな存在だったのか、初めての空襲のときは、空に浮かぶ爆発の煙に見とれてしまうこともあるのか、東日本大震災のあと、余震にうんざりした私たちのように、「空襲警報なんて飽きた」と言いたくなるほど、これほど多くの警報が鳴ったのか、と、あの時代が現実のものとして伝わってきた。

「足りない食料を補うために、こんな風にタンポポやスミレを調理して食べていたのか」「そっか、爆撃のあとは干していた洗濯物が汚れるんだな。洗うのが大変そうだな」と感じたり、いつの間にか、すずさんたちの暮らしに自分も溶け込み、一緒に暮らしている気持ちになっていた。

でも、この映画の真髄は、そうした「情報」ではないのだと思う。

私はライターを仕事にし、これまでたくさんの文章を書いてきた。文字の一つひとつにこだわり、格闘しているつもりだが、いまだにまともな文章が書けない。それでも一つだけ、ライターという職業を選んだから気づいたことがある。

言葉というのは、モノに形を作る作業だ。

言葉は他人に何かを伝えるために生まれた。言葉より先には、すでに音や物体、感情があった。人は聞こえる音、目の前にある物体、体の中からわき上がる気持ちをなんとかして他人に伝えたいと、言葉を生み出した。

「うれしい」「哀しい」「りんご」「本」......。世の中には数え切れない言葉が存在する。だが、どの言葉も音や物体、感情のすべてを「言葉の器」の押し込めることはできない。必ず「言葉の器」からあふれ出てしまうものがある。だから、ライターは悪戦苦闘する。語る人が発した音、感じていた気持ち、しぐさ、そのときの情景をどうやって、どの「言葉の器」を使ったら、一番、受け手に分かってもらえるのか、七転八倒するのだ。

そして、悔しいことに、どれほど数多くの言葉を知り、使い方を分かっていたとしても、意識をして「言葉の器」を使っている限りは、こぼれ落ちるものはなくならない。永遠に穴の空いたバケツで水を汲もうとしているようなものなのだ。

だが、一つだけ、「言葉の器」を使ってすくえる方法がある。「おはなし」だ。おはなしは昔話、伝説、童話と呼ばれることもある。誰がどこで生み出したかも分からない話、作者はいるけれど、児童書として扱われている話。そんなおはなしは、言葉の裏側にとてつもなく大きな器を持っている。ときには、底が見えない「言葉の器」もある。

「おはなし」の多くは荒唐無稽だったり、つじつまが合わなかったり、「大人の頭」で考えた論理は通じない物語がほとんだ。にも関わらず、人々はなぜその「おはなし」に惹かれるのか、確とした理由をうまく説明できないまま、「おはなし」を愛し、伝え、語り合う。それは、「おななし」の「言葉の器」が水面からは見えないくらい、深く深く音やモノ、心の動きをすくいとっているからなのだと思う。

「言葉の器」からこぼれ落ちそうなものをすくう、ことだけ考えれば、文字より映像のほうが有利だ。伝わり方と時間で比べたとき、映像のほうが文字よりも圧倒的に情報量が多いからだ。

「この世界の片隅に」は時系列で話は進み、物語が破綻しているわけでもない。昔話や童話でもない。現実に起こったことをフィクションの形を借りて展開するアニメーション映画だ。こうやって文字にすれば、何らこれまでの戦争をテーマにした映画と変わらない。

だが、これまでの戦争を扱った映画とも何かが決定的に違う。

それはおそらく、昔話や童話に通じる「おはなし」がどこかに潜んでいるからなのではないだろうか。

なぜ「おはなし」を感じるのか、丁寧に描かれた美しいアニメーションだからなのか、限界まで調べ尽くしたという綿滅な調査が下支えしているからなのか、音楽にあるのか、ゆったりとしたテンポにあるのか、どうしても私は、その「おはなし」のありかをまだ見つけられない。そして、たぶん、何度見ても、見つけられないだろう。それが「おはなし」だからだ。だからこそ、「この世界の片隅で」を見終わり、劇場を出る人たちが涙を流したり、紅潮してたりしているけれども、なんとも表現できないうれしいような、ほっとしたような表情をしているのだとも思う。

日本で戦争が終わってから、71年が経った。あの時代を知らない世代が、戦争がなかったかのように世の中で大きい顔をして暮らしている。「この世界の片隅に」が大ヒットしたからといって、広島の原爆ドームや呉市への観光客は増えるだろうが、反戦運動が盛り上がるわけでも、沖縄の基地問題が解決するわけでも、今の世の中の流れが大きく変わるわけでもないと思う。そういうメッセージ性の強い映画ではないからだ。

けれども、人の心の奥の奥に何かの種は植えてくれる映画だ。戦争が終わって、「おはなし」の形に物語を変え、本当の意味で忘れられない記憶にし、終戦を境に分断された歴史を結びつけるのには、71年という歳月が必要だったのだろう。

今、生きていて、この映画を観られたことが幸せなのか、戦争が起こらずに映画も作られなかったほうが幸せだったのか。その答えはいつか見つかるのだろうか。