川下から見るウェブメディアの歴史(1)

キュレーションメディアの騒動を発端に12月17日に「出版文化のお作法は誰が継承するのか」という記事を書いた。書きながら、そして、書いた後の今もずっと「ウェブメディアとは何なのか」を考えさせられている。

私はIT系の専門ライターではないけれど、パソコン通信の時代から草の根ネットやチャットにはまっていたので、ライターのなかでは、それなりにインターネットとメディアの関わりを眺めてきた人間ではないかと思っている。2017年からウェブメディアと紙メディアが本格的に融合する時代に突入していくと予感していることもあり、インターネットとメディアをテーマにこれまでつらつらと感じてきたことを「ウェブメディアのお作法」というタイトルで、これからぽつぽつとまとめていきたいと思う。

そんなことを偉そうに書く気になったのは、最近、ウェブメディア論がいろいろな立場から語られているけれど、経営者や編集長クラスの方々の話が中心で、実際にちまちまと記事を書いているライターからの話があってもいいのではないか、と思ったからだ。川上からの見方だけでなく、川下からの見方の一つの補完になれば、と思っている。

私が「インターネットってすげーー!」と思ったのは、1996年に開設された「村上朝日堂」のホームページを見たときだ。村上春樹が自分の声で「こんにちは、村上春樹です」と言っているのを聞いたとき、「うわっ!生の村上春樹の声を聞くことができるなんて!」と驚いたのだ。それまで一般人が著名人と直接、コンタクトを取れる機会は、ファンレターを出すことくらいしかなかったし、肉声を聞く機会もテレビかラジオしかなかった。パソコン通信も文字情報のやりとりが中心だった。それが出版社が運営しているホームページとはいえ、本人とダイレクトに文字だけでなく、音やビジュアルも使ってコミュニケーションができるツールによって、発信者と受信者の距離が一気に縮まったことに驚いたのだ。

その頃から、ITの専門家ではないパソコン好きの間でホームページを開設する人が少しずつ増えていった。個人が同人誌などの紙ではない媒体を使い、不特定多数の人に発信できるようになった時代の幕開けだ。私も97年に趣味のホームページをオープンさせている。当時はのどかなもので、ホームページは少なかったし、趣味が共通でホームページを開いている人となると、さらに数が少なかったので、私たちはすぐに知り合いになった。インターネットの世界は「オン」で、現実の世界で会うのは「オフ」。直接、顔を会わせるのは「オフ会」と呼ばれた時代だ。

インターネットユーザーが爆発的に増えたのは、98年のiMac登場がきっかけだと思う。とくに女性のパソコンユーザーが増えたのは、iMacの影響が大きいだろう。いかにもオフィス向けの無骨なWindowsマシンに比べ、ボディの一部が透明なボンダイブルーのiMacは家庭のインテリアとしてもおしゃれだったし、Windows95が登場していたとはいえ、ある程度、パソコンの知識がないと動かせないWindowsマシンに比べ、1台でインターネットに接続できるiMacの手軽さは、それまで「機械に触れる」ことに抵抗感があった層も取り込むことになった。

そして、それ以降、ネット環境の整備や作成ソフトの普及もあり、自分のホームページを持つ人はどんどん増えていった。

当時、私が思ったのは、「インターネットは人間関係をフラットにするツールだな」ということだった。アクセスすることさえできれば、ネットは誰にでも開かれている世界だ。年齢や職業、地域など、現実世界であれば、人と人を区別し、棲み分けを作り出す「カテゴリー」がネットではかき消されてしまう。小学生が大学の教授と対等に語り合うことも可能にする世界だった。

とはいえ、90年代後半のホームページはまだ趣味のものでしかなく、当時のウェブビジネスの主流は商品を販売する通販サイトだ。情報を提供したり、共有することをビジネスとして捉える風潮はなかった。企業の多くはまださほどホームページの重要性を感じていなかったし、インターネットは個人の好き者の天下だった。今の「クールジャパン」などと呼ばれているあれこれの芽は、この時代の個人ユーザーが好き勝手にやっていたことから生まれたものも多いと思っている。ビジネスになるとも思わずに、「好き」という気持ちに突き動かされていたからこそ、制約に縛られることなく、自由に発想し、面白いアイデアを作品にする土壌が生まれたのだ。

また当時は、パソコンやインターネットに詳しい人たちが自分の知識を披露したり、自作のCGIを公開するホームページなども数多くあった。そんなホームページに対しては、利用する人たちが感謝の気持ちを示すことが謝礼だった。

多くの人に有益な情報を公開するホームページの運営者に感謝の念を金銭で示そうと「投げ銭」的なサービスを提唱する人もいたが、少額のお金をやりとりするシステムがまだ整っていなかったことやインターネットは無料で使えるもの、という根強い意識から、結局、普及しなかった。

では、ホームページで扱っていた情報はどうだったかというと、質も信頼性もそれなりに高かったと思う。理由は、当時の「ホームページ」はその言葉通り、運営者の「家」だったからだ。運営者がハンドルネームを使う匿名の存在であっても、プロフィールを通して、受信者はぼんやりとでも運営者のバックボーンを知ることができた。また、情報が薄いホームページは訪問者が少ないため、運営者は自分の「家」を認めてもらうには、それなりの努力が必要だった。その情報も「私を見て!見て!」的な一方的な情報だけではリピーターは増えなかった。閲覧者が「欲しい」「役に立つ」と思える情報を発信することが重要だった。そのおかげで受信者は、発信者が信用のおける人なのかどうか、情報が信頼できるものなのかどうか、推測する情報も得ることができたのだ。

発信者が誰か分からないという匿名性で言えば、99年に運営を開始した「2ちゃんねる」がある。本当か嘘か分からないことを身分を隠して発信できるツールとして2ちゃんねるは面白い存在だったが、この頃は書き込むのには、ちょっとした勇気が必要だったと思う。ITやインターネットに詳しい人でなければ、そうそう気軽に書き込むことはできない雰囲気があった。

そう考えると、当時は今よりも「ウェブメディアのお作法」が守られていたのだと思う。情報を発信する側も受け取る側も立場は平等だったが、運営者の「家」に閲覧者が土足で踏み込むことは許されなかった。インターネット初心者や人気ホームページに嫉妬する人が作法を無視するようなことをすれば、ネット上級者やホームページのファンがたしなめることも少なくなかった。それで掲示板が「荒れる」こともあったが、「情報を提供する側」に対しての礼儀は守るべきものだった。そして、それだけに情報を発信する側も間違った情報や何らかの誘導を目的にした情報を故意に流すことは「ネットの作法」に反する、という意識があったのだと思う。

そんな発信者と受信者の情報に対する意識が変化し始めたのは、スタイルシート(CSS)と「ブログ」が登場してからのように私は感じている。

この続きはまた後日。

写真は去年、取材先で見せてもらった懐かしのiMac。私はこのオレンジのiMacがものすごーーーく欲しかったのだが、ワープロと辞書がMacはタコで、とても原稿執筆に使えなかったのでWindowsから乗り換えることができなかったのであった......。