芥川賞候補「美しい顔」(北条裕子さん作)の参考文献問題について

20110503-IMG_9433-2-2.jpg

[7月6日追記]

参考文献とされた『3.11慟哭の記録』(新曜社)の編者である金菱先生から、版元の新曜社さんを通してコメントが出ました。

https://www.shin-yo-sha.co.jp/pdf/180706comment.pdf

6月29日に以下の記事を書いたのち、講談社さんからのコメントが出て予想外の方向に進む気配があったことから、金菱先生にご迷惑がかかるようになっては、と思い、一時、削除しましたが、金菱先生が思いの丈を伝えようとした正式な長文コメントが出たので復活させます。

金菱先生のコメントを読んで、出版に関わる人間としての姿勢を厳しく問われました。胸に刻み、できうる限りの真摯な姿勢で取材と原稿に取り組まなければと思い知らされました。下記の記事も時間の経過もあり、書き直したい部分は多々あります。とくに震災から7年の歳月が経っても、未だ、いえ、もしかすると、よりつらく、哀しく、苦しい思いをしている被災地の方々への配慮が足りなかったことは反省しています。東京で安穏と暮らしているにもかかわらず、被災地に近い人間だから、という傲慢さがあったことは否めません。

また、石井光太さんの『遺体』も素晴らしいノンフィクションです。ノンフィクションも創作物であり、その現象をどう切り取って表現するかは、作者の方々の鋭い視点なしにはできないと思っております。下記の記事では、『慟哭の記録』についても考察していただきたい気持ちが前面に出てしまい、とても失礼な文章になってしまいました。『遺体』を読ませていただいて、石井さんがどれほど取材に配慮し、インタビュイーの方たちと強い信頼を結び、執筆にあたっても慎重に言葉を選んでいらっしゃったのかが伝わってきて、深く心に染み入り、学ぶことも多々、あったと追記しておきます。大変、申し訳ありませんでした。

上記のような甘さが露呈している文章ではありますが、今後も東日本大震災を考え続けるために、自分への戒めとして、残しておきたいと思います。

過去に書いた記事も貼っておきます。なぜ東日本大震災を言語化することが難しいのか、について書いています。

http://fillmore-eastjp.com/2018/03/post-22.html

[追記ここまで]

今日付の新聞の記事を読んで、ちょっとほっとしております。珍しく朝日が全文読めるのでぺたり。読売新聞にも同様の内容の記事が出ましたが、朝日新聞のほう参考文献が全部、掲載されているので。

芥川賞候補作、参考文献示さず類似表現 掲載誌でおわび(朝日新聞)

芥川賞候補作に参考文献つけず、掲載誌おわびへ(読売新聞)

この件、出版の人間として、業界の内情も分かるだけに、どうしたものかと外野ながら、自分の仕事への姿勢も問われる問題であり、とても、悩みます。問題の小説「美しい顔」と参考文献のうち、石井光太さんの『遺体』と金菱ゼミの『慟哭の記録』だけを読み比べてみましたが、「あ、これは」と思うカ所がけっこうあったからです。ただ、一文丸ごと、表現を使っているかというと、うまい具合につまみ食いしてるのですよね。

新人賞への応募作という駆け出しの作家であれば、こういうことはあるだろうという文章だし、文献を参考にするという行為は、よくあることなので、「ううーーーん、許される範囲なのだろうか」という微妙なところといえなくもない小説でした。小説の出来でいうと、私見でしかないですが、震災に関わる部分の迫力はありますし、胸に迫るものはあるので、芥川賞候補になったのも分からないではありません。

ただ、震災に対する心情を述べるカ所ではない、ある対話の部分以降になると、筆力がガクッと落ちるのです。そこだけ、ぽかっとリアリティがなくなるのですね。参考文献の件を知ってから読んだので、私の読み方にはバイアスがかかっていますし、フラットな感想ではないのですが、読後の感想は、「別にこのテーマなら、震災を舞台にしなくてもよかったんじゃないだろうか」というのはありました。高い評価を受けたのも、震災が舞台になっているからであって、他のテーマだったら、この作者の力量はいかがなものだったのだろう、というほうに興味がわいたくらいです。

今回の問題で注目すべきは、『遺体』は石井さんが取材を重ねて書いたノンフィクションですが、『慟哭の記録』は、震災を経験した71名の「手記集」ということです。『遺体』は石井さんの取材力と執筆力があってこそ、ですが、ある意味、起こった事実を吸い上げて当事者以外の人間が文章化した、という点では、フィクションとノンフィクションの違いはあっても、「美しい顔」と同じ土俵であると言えないことはないと思います。

が、手記は違います。その人にしか書けない文章なわけで、一字一句がその人自身です。『慟哭の記録』の価値はそこにあるわけですし、他の震災本とは違う稀有な存在だと思っています。その本から、たとえ一部であっても、手記の書き手が心情を語った言葉を使って小説を書くというのは、やはり許されないのでは?と思うのです。

場所や日付け、科学的データなど、公に認められている事実関係ならともかく、人の心の中を借りてきて書くというのは、アリなんだろうか。小説なら許されるのだろうか、と、私は文芸の出版には門外漢なので悩むのですが、やはり今回の件については、過去の事例とは違って許されないだろうと思ってしまうのです。

もう一つ、作者の北条裕子さんは、受賞の言葉で「自分は一度も被災地に行ったことがない」と語っています。これもどうなのか、と思うのです。高い評価を与えた書評家たちは、「行ったことがない、経験したことがないことを圧倒的なリアリティで書いた」と、その点を評価しているのですが、私は東日本大震災については、違うと思います。

あの現場に立った人なら分かると思いますが、私も2カ月後でしたが、何も言葉にできませんでした。文章を生業にしている人間であれば、「言葉が負けた」と敗北感しかなかったはずです。そこを知らずに安易に小説を書くな!と言いたくなるのですね。

私自身も今年、『私の夢まで、会いに来てくれた』に関わりましたが、7年経って、ようやく震災のことを言語化できるようになったと思いました。自分のブログでもあの当時のことを言葉にして、きちんと語れるようになったのは5年経ったときです。震災直後から、言語化できるまでには、相当の時間がかかるだろうと思っていたので、ようやく言葉という枠で震災を捉えることができるだけの時間が経ったという気がしました。

おそらく時間が経ち、話し言葉ではなく、書き言葉の形として言語化しやすくなったことで、これから震災をテーマやモチーフにしたフィクションがもっと出てくるのではないかと予想しています。それによって風化しつつある震災の記憶が呼び戻され、あの日に思いを馳せることになるのは悪くないと思います。けれど、戦争を経験したことがない私たちが初めて知った、多くの人が理不尽に亡くなり、家や仕事を、故郷を失うというできごとをテーマに何かを書くということは、自分の存在をかけて取り組むべきことですし、今回のような取材もしていない、現場も見ていない小説は出てきて欲しくないと本音では思っています。北条さんが時間が経ってからであっても、現地に足を運んで入れば、彼女でしか感じられない視点が加わって小説のできあがりも違っていただろうに、と残念です。

出版も商売です。売れるとなれば、出すでしょう。そこも分かっているだけに、きれいごとだけではいかない話だと答えのない問題に悶々としてます。私自身、この件が話題になり、金菱ゼミが今年出版した『私の夢まで、会いに来てくれた』の売上が伸びればいいのに、と思っているくらいのゲス野郎です。Amazonへのアフィリエイトリンクを貼らないところも自分の姑息なところなのです。

せめて今回の件をきっかけに、『慟哭の記録』に注目が集まってくれればと思います。生半可な小説なんぞ、ぶっ飛ばすくらいの内容ですから。

ちなみに私自身は、北条裕子さんに何の思い入れもないですし、次回作を書かれるならそれはそれでよいのでは、と思っています。しっかりした編集者がつかずに書けば、こういうことはあるでしょうし、とくにこれだけネットで著作権無視の記事や写真の転載が当たり前になっている世の中であれば、その中で育ってきた若い世代が気づかずに書きそうなことだとは思っています。彼女がプロの小説家としてやっていけるかどうかは、次回作以降が勝負でしょうし、何の仕事でもそうですが「続ける」ことが何よりも難しいことだと思っているからです。

写真は私が初めて南三陸町に足を踏み入れた日に撮った写真です。2011年5月3日。少しでも美しい景色を、と想いながら撮った写真です。

前へ

「AERA」2018年6月18日号 星屑スキャットとリリー・フランキーさんの対談を執筆しました

次へ

明日の芥川賞発表に向けて